【34時間連続更新】全米が泣いた! そして、大阪は笑った! 「パワプロクンポケット」 第17回

パワプロクンポケット10」12月6日発売!
(C)2007 Konami Digital Entertainment Co., Ltd.
(社)日本野球機構承認 NPB BIS プロ野球公式記録使用 阪神甲子園球場公認

※ジャケット画像はTSUTAYA onlineに掲出されているものです。
※この文章は電撃パワプロという増刊号のために書かれ、後にブログにアップされたものの再掲出になります。

タッチパネルについては、藤岡も悩んだらしい。「甲子園」と「8」の開発が並行して進んでいた頃、藤岡はその苦労を口にしていた。それだけではないが、萩原が言ったように「パワポケ」のおもしろさを物語のおもしろさだとすれば、「パワポケ」には二画面もタッチパネルも必要ない。ただ、藤岡の悩みには背景もあった。DSの初期、任天堂は二画面とタッチパネルを活用するソフトの開発をメーカー各社に要請していた。マイクまで使っている「nintendogs」のようなソフトが模範例だったのだ。現実にはそのどちらも必須ではないソフトが大ヒットを記録し、そうした話は雲散霧消している。
藤岡がそれに悩まされていた頃、シリーズ最新作「ダッシュ」の開発もスタートしていた。そのプログラムとシナリオを担当したのが丸山だった。「ダッシュ」はベテランの丸山と、山本という最も若いプログラマーに、藤岡を加えた三人を中心に作られたGBAソフトだ。DSではなく慣れ親しんだGBAで、「パワポケ」のエッセンスを確認していくかのように開発は進められたのだが、野球部分はカード野球になり、裏サクセスには自動生成型ダンジョンRPGが用意されるという、かなり異色のタイトルになった。何かは確実に継承しつつも、異色のものを仕上げる。これが逆に「パワポケ」のエッセンスなのだ。その作業を終え、無事に発売を迎えてから一ヶ月という丸山は、誰よりも余裕のある表情で会議室の席に着いた。

※この文章は2006年5月に書かれたものです。
※「パワプロクンポケット」シリーズの公式サイトはこちらです。