全米が泣いた! そして、大阪は笑った! 「パワプロクンポケット」 第29回

パワプロクンポケット10」12月6日発売!
(C)2007 Konami Digital Entertainment Co., Ltd.
(社)日本野球機構承認 NPB BIS プロ野球公式記録使用 阪神甲子園球場公認

※ジャケット画像はTSUTAYA onlineに掲出されているものです。
※この文章は電撃パワプロという増刊号のために書かれ、後にブログにアップされたものの再掲出になります。

その会話に谷渕も口を挟む。

僕は、誰に世話になったかは覚えてるんですよ。若い頃、誰に育ててもらった、教えてもらったか、それは忘れませんて。

谷渕、遠山の二人からすれば藤岡は若い頃に世話になった大先輩なのだが、藤岡はそんなふうに言われても軽く受け流す。

え? なに言うてんの? 僕、最近はそんなに絵ぇも描いてないし、なんにもしてないよ。それは萩原も言うてましたやんねぇ。僕が絵を描かなくなったから、萩原が描いてるんですよ、彼女キャラとか。僕、女性キャラはもうおばちゃんしか描かへんから。それになぁ、チームをまとめる言うても、あの連中やろ? 僕、なんもせぇへんもん。

アルコールも入り、4人の勢いは衰えない。結局、酔う前に「パワポケ」の話をしましょうと言っておきながら、倉西の発言もどんどん「パワポケ」そのものからは離れていく。谷渕には「パワプロプロダクションについて」というテーマでインタビューをすることになっていたのだが、明確な答えを聞く前に取材を兼ねた会食はただの飲み会の様相を呈しはじめていた。ただ、彼らは今でこそ、「パワプロ」チーム、「パワポケ」チームに分かれてはいるが、常にお互いの様子を確かめながらそれぞれのタイトルを作り続けているということは会話の端々からうかがうことができた。「パワポケ」にとって「パワプロ」は必要な存在であり、「パワプロ」にとっても「パワポケ」は必要な存在なのだろうか。その関係性に確信は持てなかったが、この関西の子どもたちのつながりが、パワプロプロダクションの力の源なのだということは確かだ。

おい、もうレコーダー止めようや。もうえぇわ。

満足にインタビューもしないまま、編集長自らがオフレコを宣言した。大阪の夜は、かなりうるさく更けていった。

※この文章は2006年5月に書かれたものです。
※「パワプロクンポケット」シリーズの公式サイトはこちらです。